官僚養成校として出発した東京大学に対して、フランス留学後の西園寺公望が自由な学風の学校をつくるを意図して出来たのが京都大学。
多くのノーベル受賞者を排出しており、変人じゃないと思いつかない発想を持てる土壌があるそうです。
本の中にあった変人伝説を紹介すると、
ドイツ語で辞書やノート、何を持ち込んでもよいとの試験があった時、ドイツ人を持ち込んだ学生がいたとの噂話もあるらしい。
そういえばシオヤマも中学の時、
アフリカ大陸の地図を画用紙に書いてくるようにとの宿題があった。めんどくさいな〜と感じたので「画用紙にかけば良いのですね?」と先生に確認した。
先生の方も何か企んでいるなと感じたのかニヤッとしながらOKだった。
翌日、2cmX3cmくらいの大きさの画用紙で提出したが文句は言われなかった。
笑いながら受け取ってくれるシャレのわかる先生だったことを思い出す。
今の時代なら許されないだろうな〜
第2章の山内裕准教授の考察が面白かった。
「サービスにおいて、提供側が客を満足させようとするとかえって客は満足しなくなるとのパラドックス」
「高級であればあるほどサービスはへる。」
減ってゆくのは笑顔、情報、スピードだったりする。
えっつ、と思いませんか?
高級フランスレストランを例に解説してあった。
・料理名だけのシンプルなメニュー
・ワインリストにしろ、料理メニューを客に渡した後は、さっさと決めろと言わんばかりに傍に立って待っている。
カジュアル店ならともかく、高級店になるほど自ら説明しない。
・オーダーした後はさんざん待たせたあげく、ワインや料理を持ってくる。
高級店には縁がないが、なんとなくわかる気がする。
要はプロとして毅然としており、そのように振り舞われた方が満足するとの話かと、
名人とよばれる寿司職人に愛想よくされても気持ち悪いだけである。
一般論に固執していては気がつかない。
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