谷川祐一さんのプロフィール

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8/29.オンラインセミナーで講話される谷川祐一さん、ご本人からの長めの紹介文です。
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1975年3月15日 茨城県神栖市在住
谷川末男・清子の長男として生まれる

タニカワクリーニングの創業者である谷川末男は跡取りの誕生を大変喜び、とても凝った名前をつけようと役所に出向いたが、その漢字も読み方も大変凝りすぎていたため、人名許可がおりなかった。その事実に怒りどうでも良くなってしまった末男は役所内に貼ってあった町会議員のポスターの名前をそのままとって『祐一』と名付けたという。物心ついてこの話を聞いた祐一は大変ショックを受けたが、のちのち「祐」という字には「人を助ける」という意味があると知りとても嬉しく思った。その名の通りに生きていこうと思った。

昭和の創業者の象徴的な人物であった末男には大変厳しく育てられた。台所に間違えて入ろうものなら「男たる者、台所に入るな!」と厳しく叱られ、小学1年生のころには、上級生10名に囲まれケンカに負けて泣きながら帰ると、事情を聞いた末男は「勝つまで帰ってくるなっ!」と言って祐一を家から追い出したという。虫の居所が悪いと怒鳴る殴る蹴る投げ飛ばすは当たり前、5つ離れた妹が両足を捕まれて2階のベランダから逆さに吊るされていた光景は今となっては笑い話である。

そんな厳しい父に怒鳴られ、殴られながら育てられたため、比較的おとなしく・・・いや、とっても暗く育った祐一であった。なかなか自分に自信が持てなかった祐一の唯一の楽しみは所属していたサッカークラブである。

しかし、その楽しみは母の清子によって奪われてしまう。昔から不良で有名だった末男の息子であるせいで、地域の人達にバカにされては可哀そうだと、祐一のサッカークラブを勝手に退部させ、学習塾に入れたのである。子供心にもなかなかにショックな出来事であった。

こんな父母のそばにいてはいつも委縮して自分らしく生きられない。こんな暗くて惨めな自分とは早くオサラバしたい!と地元を飛び出し東京の大学へ進学し、バラ色の大学生活を送りにいった祐一であったが、・・・実家を出ても何一つ生活は変わらない。友達もできず孤独であった。祐一は愕然とする。それまで、人生で思い通りにならない事、上手くいかない事は全て父母のせいだと思っていたのだが、親元を離れても何一つ変わらない自分がいる。その時はじめて、『全ての問題は自分にある』ことを自覚したのである。

まさに死んだ方がマシと思えるほどにショックであった。生きる気力をなくし1ヵ月の間、自宅に閉じこもった。このまま死んでしまおうかとも思ったが、こんな状態で人生が終わるのは嫌だ!と自分に対して強く怒りを感じた祐一は、どうせ家業を継ぐ運命、就活の必要もない。だったらこの大学4年間を人生をやり直す覚悟で「女の子にモテる修行」のためだけに使おうと決心する!

お笑い番組を徹底的に研究、読んだこともないファッション雑誌を定期購読、女心を学ぶため女性誌にも目を通す、常にモテる人のそばにいて、その人の行動・言葉・態度をマネする、スポーツジムでダイエットをはかる、渋谷のオシャレな飲食店をリサーチ、話題の映画やドラマをチェック、バイトをして財力を身につける等、一生懸命、死ぬ気で努力を重ねた結果、一年後にはすっかり見た目も変わり、相当モテる立場にまで上り詰めたのだった!・・・しかし、人生で一度もモテた経験のなかった祐一はその先どうしていいかわからず、モテているのに『彼女をつくる』という大切な目的を果たす事はできなかった。結局、かりそめの『合コンの帝王(笑)』にすぎなかったのである。

大学3年の冬ごろから、同級生は就職活動に忙しくなったが、家業を継ぐしかないと思っていた祐一はアルバイトに勤しんでいた。が、大学4年の秋、父から突然の電話を受け衝撃の言葉を聞く。

「しばらくそっちでやりたい仕事でもやってこい」と言われたのである。

やりたい事なんて考えた事もなく、就活のタイミングを逃していた祐一は、結局そのままフリーターになる。都内で一人暮らしをしながらのフリーターだったが、こんなに大変な事はないと感じた。とにかく働いても働いても貧しく、100円のおにぎりを買うのにコンビニでしばらく迷ったあげく買えなかったのは、今ではいい思い出である。

この極貧状態をなんとかするために、当時はまだ珍しかったPCスキルを身につけるため、借金してパソコンスクールに通い、ナムコ、ソフトバンク、セガで派遣社員として働き、最後のセガでそのまま社員となった。こうしてようやく東京での生活の糧を得ることができたのである。

生活が安定した祐一は、せっかく東京にいるのだから、「今しかできない事をやりたいとやりたい」と考え始め、なんとここでプロの『俳優』になる事を決心してしまう!今まで演技の経験も何もなく全くの素人の状態だったのだが、俳優養成所に入所すると並み居る猛者としのぎを削りながらとんとん拍子に進級してしまい、数年後にはどうにか仕事を戴けるようになってしまっていた。「あれ?このままいったらこの世界で食えてしまう?」と思い始めた頃、バブル崩壊以降、事業で苦しい思いをしていた父親より、会社を継ぐために帰ってきて欲しいと懇願される。当然、何度も何度も断ったが、母と妹を人質にとられ、脅されまくり、最後には仕方なく所属していた事務所の社長に頭を下げて辞めさせてもらい、実家のクリーニング業を手伝うこととなった。

とにかく3年で会社を立て直し、また東京に戻ると密かに決心して地元に帰ったものの、何から始めればいいのかわからない。とりあえず店員さん達に挨拶回りをと、10か所あるお店を巡回してみると、そこには驚愕の光景が広がっていた。「お店の奥に畳を2畳もちこみ、近所のおばあちゃんたちのお茶会場と化した店」「本棚とリクライニングチェアを持ちこみ、マンガ喫茶と化した店」「奥をパーテーションで隠し、ダイニングテーブルと椅子を2脚、ティーセットまで用意され恋人とのデート場所と化した店」「マンガやゲームが多数持ち込まれ、店員さんの息子の部屋と化した店」「バランスボールなどのフィットネス道具を持ち込み、パーソナルトレーニング場と化した店」・・・なんとも、信じられない光景の連続。ツッコミどころ満載で困ってしまうほどであった。

さらに工場でも驚きの連続。

「おはようございまーす!」と挨拶しても職人さんには無視され睨まれ、めげずに挨拶していると「うるせー!」と怒鳴り返される始末。

仕事中は毎日、工場長の怒鳴り声が響き渡り、若手の男の子はグーで殴られ、怒鳴られすぎてシクシク泣いているパートさんやヒステリックに怒鳴り返すパートさん達を目にすること多数。。

当然のごとく、人の出入りは激しく、奇跡的に新人さんが入れば、初日から「どうせあんたもすぐに辞めるわよ!」と先輩パートさんから言葉の洗礼・・・

一体全体どこをどうやったらこうなるのか。

マンガやドラマよりも強烈な、目を疑う光景が毎日繰り広げられる。
経営状態もまさに最悪。借金は多く、売上は少ない、現金もない。
長年の経営不振から銀行との関係も微妙。
当然この状況下では、父も母も精神的に不安定。
家では毎日、夫婦喧嘩、親子喧嘩が繰り広げられ、精神をガリガリ削られていく。
孤立無援、八方ふさがりのこの状況。

さあ、どうする祐一?

どんなに信じられなくても、ここがスタート地点。

その名の意味が表す通り、この瀕死の会社を助うことができるのか!?
2004年の春、こんな感じで2代目経営者の大冒険が始まるのでした!

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